ヘルプとFAQ
予想される質問と答え

Q1. どうして山畑古墳群のサイトを運営しているのですか。
A1. 近くに住んでいたことがあるからです。
小学校から高校にかけて5年くらい東大阪市東花園に住んでいました。山畑古墳群は最寄駅が東花園の隣の瓢箪山なので、「近く」と言えるかどうかは分かりませんが、少なくとも僕にとっては近かったです。その当時は森 浩一先生(当時、同志社大学教授)や瀬川芳則先生(当時、枚方市文化財研究調査会)に師事して考古学者を志望していたので、近くにあった東大阪市立郷土博物館や、近鉄八戸ノ里駅と若江岩田駅のあいだを走る大阪中央環状線にあった東大阪市遺跡保護調査会に出入りしていました。特に東大阪市立郷土博物館には足しげく通って、夏休みには学芸員の皆さんの業務スペースにお邪魔して資料を青焼きコピーさせてもらったり、土器の製作手順について手ほどきを受けたりしました。この博物館は、敷地内に山畑古墳群を構成する数基の古墳を整備・保存しているため、僕にとってそれらの古墳は馴染み深い史跡の一つです。他にも、神戸ハーバーランドを造成する際の東川崎町遺跡(三菱倉庫敷地内)予備発掘調査(学部生の頃。『東川崎町遺跡(三菱倉庫敷地内) 神戸ハーバーランド建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』、1989年10月、東川崎町遺跡調査会)や、枚方市交北城ノ山遺跡発掘調査でのお手伝い(中学生の頃)など、僕が発掘調査に関わらせていただいた史跡も馴染み深いわけですが、自分の住んでいたところから近くにあって何度も尋ねた場所を記念しておきたいと考えました。また、それ以外にも中学時代は自分自身や家族の生活が最も安定していた時期だったので、こういうサイトを運営してプライベートな意味での「良き時代」を懐かしむという、或る種のノスタルジーも動機としては確かにあります。
Q2. 考古学についてどのていどの知識がありますか。
A2. 殆どありません。
プロフィールで簡単に述べてあるように、僕は高校生になってから歴史学の方法論に興味を移して、色々と曲折はありましたが大学では哲学を専攻しました。そのため、考古学を勉強したのはせいぜい小学校5年生から高校1年生までの6年ほどです。しかも、最も考古学を勉強したのは中学1年生か2年生の頃なので、特に専門的な知識はありません。その頃に読んでいたのは、主に大学受験の参考書や一般向けの概論や大学生向けのテキストくらいです。それなりに背伸びして『考古学ジャーナル』を購読してはいましたが、たぶん殆ど理解していなかった筈です。(予約購読していたのですが、専門家であればご承知のとおり、この雑誌は臨時号や特集号などという名目でページ数が大きく変わることもあり、入荷するまで正確な値段が分からないのです。書店で中学生が「3,000円です」と言われて無造作に引き取れたのは、やはり僕にとっての「良き時代」だったからでしょう。)ということで、その辺に幾らでもいる「歴史好きのおっちゃん」の一人です。

冒頭に戻る